昭和という時代の発達障害

昭和生まれかつ毒親育ちの発達としては、今がどれほど不況で日本落ち目の時代だろうと昭和には二度と戻りたくない。
それくらい、昭和の中流家庭(現代基準だとアッパーミドル)というのは発達障害特性と地獄の相性だった。

魔女狩りの時代に欧州に生まれた猫好きの平民女性を想像してみる。
生まれた時点で四面楚歌のデスゲームに放り込まれたようなものだ。
彼女たちが五体満足で知能も普通だったからといって、現代欧州の平民女性と比べて生き辛さに大した違いはないとは誰も思わない。

昭和の発達障害者も、ジャンルは違えど似たような状況だった。
学校に入るとそれが誰の目にもはっきりと示される。
たとえば。

ADHDは、列に並んで十数分じっとしていられないだけで「反抗的で暴力的な問題児」として保護者まで呼び出し説教されたりする。
本人にその気がなくてもやたらに危険人物と見なされ、問題点の何もかもが悪意や反抗的精神からくるもののように決めつけられる。
危険人物(とみなした存在)への排斥力は強烈なので、まもなく表舞台に居場所はなくなり、本当にアウトローとしてしか生きる術がなくなる。

ASDは、休み時間に1人で本を読んでいるというだけで「友達の輪に入らない問題児」として通信簿に苦言を書かれたりする。
勉強は程々でいいから外で友達と遊びなさいと無理やり引っ張り出され、無様なコミュニケーション力を大勢の前で披露させられ、同級生たちに笑われいじめられる。
それでも1人で本を読んでいるよりは大人達に「健康的」とみなされるため、その子の長所が発見され育つ機会は永久に来ない。

このような教育を、当時のほとんど誰もが当たり前の正義と信じて疑わなかった。
令和元年に泣く赤ん坊を殴って泣きやませるのが非常識だと感じるのと同じくらい、こういった誤解は昭和当時の「正常な」感覚だった。
だから、今でいう発達障害への理解など、赤ん坊を殴るのは正しいと主張するくらい気の狂った思考だった。
こういう世界観で、発達障害者を成人するまで教育したのが昭和だ。

とはいえ、そんな教育でも昭和のあいだは「社会的に」問題はなかった。
誤解だらけのでたらめ教育を受けた結果、二次障害を発症した危険人物。そんな大人が大量に誕生しても、社会にお金が潤沢にあったため五体満足なら雇われ、したがって収入も確保できた。
更にお見合い結婚が主流だったため、ソシオパスになっていようが鬱病になっていようが問題なく結婚できた(反面、LGBTは望まぬ結婚をさせられた)。

「昔は発達障害などといって他と差別しなかった」という言説があるが、上記のような世界観なのでそれは正しい。
しかし、差別がないこと=理解があること ではない。
差別は、その存在を認識しているからこそ発生する。
認識すらされず封殺され、荼毘に付されるような昭和の「平等」に比べたら、差別と理解の混在する今の世界はよほど進歩的で希望に満ちて見える。
少なくとも自分の目にはそう映る。

逆立ちしてもINTP

数年ぶりにやってみた結果。

 “論理学者”型の性格 (INTP-A / INTP-T) | 16Personalities

<数年前>INTP-T
<今回>INTP-A

もっと全然違う結果になるんじゃないかと思ってたので拍子抜け。
TとAが違うだけで同じINTP。 

まあ数年前すでに何回も色んな所でやってて全部INTPだったんだけど、
今回は心理的に大きな変化があった後だったのでごっそり変わってるんじゃないかな~などと密かに思ってた。
全然ブレてなかった。

とはいえ。
TとAは平たく言えば自己肯定感みたいなもんなので、自分からすれば劇的な変化であることに違いはない。
ただ、主観的には世界の見え方が一変したのに相対的にはこの程度しか変わっていないということが大変面白く驚きだった。
人間の多様性をなめてはいけないと改めて思い知らされた感じ。世界は広い。